斉藤さんの事。2011/11/11

「社会派の定義」が、よくわからないけれど、
そう言われる歌うたいなのかな?
昨日は斉藤和義さんのライブに行ってきました。

大好き過ぎて、一生ライブに行く事はないだろうと思っていたのですが
(わかりますか?この変な感覚)、
なんとなく「今、会いたい」と思ったので、その直感を信じて
意を決して行ってきました。
おおげさですね。

今の気持ちは、
なんと言葉にしたら良いのかわからないので上手に書けませんが、
ひどく感動し、深く反省しています。

「せっちゃん」と呼んだ事はありません。
彼の表現するものが、時々とても重たいから。

それでも、はじめて彼のライブを観て、聴いて
自分の中に「ミーハー的な感覚」があった事に気がつき、今恥じています。


震災があってから自分の何かが変わったという斉藤さんの、
その気持ちが入ったアルバム「45STONES」

まあ、なんといいますか・・・
「よく発売できたな」と思いました。初めて聴いた時は。

語れるほど知ってはいないけれど、忌野清志郎さんのよう。
清志郎さんを想って創ったと思われる曲も入っていました。

社会に対するストレートな気持ちを2時間半、MCほとんど無く、
ずっとギターをかき鳴らし、斉藤さんは最後まで力強く唄ってくれました。

私は2階席だったのですが、1階席の前の方に座っていた息子に、
演奏中、斉藤さんが手にタッチしてくれていました。
その後、息子がじっと自分の手を見たまま動かなかったんです。
「どしたのかな?」って、ちょっと気になっていたんですが。

ライブが終って合流し、びっくりしました。
息子の手と、着ていたパーカーには、斉藤さんの血がたくさん付いていたんです。
激しくギターを弾く方は、よく小指を切ってしまうと聞きますが、
あれほどの血を流しながらも小さなホールで最後まで全力で演奏して唄ってくれて・・。

なんとも言えない気持ちがこみ上げました。
泣けました。
斉藤さんが大きすぎるのか、私が小さすぎるのか・・。
私が誰かを幸せな気持ちにしてあげられる事ができたとしても、
彼のスタイルを考えたら、私は「無」に近いような気がしています。

考え過ぎの、悪い癖。
わかっております。

複雑で 幸せで 不思議で 悔しくて・・
なんだかとてつもない想い出になりそうです。

今日で震災から8ヶ月。
まだ多くの方々が行方不明のままです。
いつもどこかで誰かが泣いているんですよね。
日常が戻ってくるのと引き換えに、
あの出来事を、みんなが少しずつ忘れていってしまうのではないかと
恐ろしい気持ちになります。

新しいニュースがどんどん入って、
世界も目まぐるしく変わっていく中で、

私は私として一生懸命生きていかなくちゃと思います。
斉藤和義さん、有難う御座います。

頼りない私ができること、何かな。